小暮理太郎の「黒部川奥の山旅」を読んだ。
大正4年月7月の話なので現在のような登山道もなく整備された山小屋もない時代。
それ故現在のルートとはかなり違ったルートを歩いているので興味深かった。
片貝南俣から入って毛勝三山より北方稜線に入りそのまま剱岳を目指すが途中で断念
一度池の平に戻り三ノ窓雪渓から劔岳に登頂、立山、浄土山から黒部川に下り赤牛に登り水晶、野口五郎を経て大町に降りている。
明治の人らしく文章は結構大げさな表現が多いけど
道無き道を苦労して進み高山植物の話も多く
同行の案内人宇治長次郎の話しなんかが面白い。
「劔岳点の記」の柴崎芳太郎氏と違って長次郎のことはとても信頼している。