昨夜はちょっと飲みすぎた

亡くなった友人の偲ぶ会と昨夜飲んだが

ちょっと飲みすぎ家に帰ったのも12時をはるか過ぎてた。

こんな時期だから二次会は無しと思ってたのに

何かそのまま帰れず次の店に

店に入ればコロナのことなど忘れてしまう

こんなことが感染を広げる原因なのかなと反省。

しかし二次会の店で懐かしい顔が二人もいた。

それにはちょっと驚いた。

 

また一人友人が逝った

一昨日高校からの友人が亡くなったと連絡が入った

突然の知らせにまさかアイツがと愕然とする

この時期新聞の死亡欄を見ると殆どが葬儀は終了しましたと出てる。

どうなるのかと思ったが昨夜お通夜が行われた。

しかし親類縁者以外は式の始まる前に焼香お参りしてそのまま散会とある。

やはりその通りで式には参加できなかった。

でもお棺の中の顔を見ることが出来別れをしてきた。

このままではあまりに寂しいのでごく親しかった数人で今夜忍ぶ会をやることにした。

朝家にいると電話が、今日の葬儀に参加してもらいたいとの旨を本人のお兄さんに頼まれたと。

式に出て弔いが出来るのは願ってもないこと

これでやっと心の整理ができる。

祭壇に飾られた遺影はまるで生きているような笑顔

長い間付き合ってくれて本当に有り難うと言って最後の別れをして来た。

ハーボー!!まだ信じられないけど

安らかに眠ってくれ。

思い出は数えきれないくらい

どれだけありがとうと言っても足りないくらい

旧満洲の平陽と七虎力

昨日父のことを調べて分からないことが気になり

今日昔のアルバムを調べ直した。

最初に平陽に行った訓練所の写真らしいものを見つけた

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この写真はその時の物かは分からない真ん中に座ってるのが父

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そして教員として最初に赴任した七虎力国民学校その七虎力が何処か分からなかったが地図を見つける

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その時の父の記録

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その写真も有った左端が父

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父は昨日も書いたがここで一年赴任しただけで昭和18年に入隊。

入隊後から終戦までの事は何も分からない。

しかしこの七虎力の終戦時の悲劇はネットに出てる。

終戦と同時にソ連軍の侵攻、地図を見ればすぐ北が国境

400名以上の自決者が出、逃げのびた人達の言語を絶する苦難が語られている。

父はここでの一年の生活は41年間の教員生活の中で一番記憶に残ると書いている。終戦の時は軍隊でここにはいなかったと思う。この時の教え子や知人達が終戦時どうなったかと思うと複雑な気になる。

開拓の様子の写真を見つけた

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父は同時のことを何も語らなかったが

7ページに渡りノートに書いていたのだ。

満蒙開拓青少年義勇軍

孫が学校から戦争体験の話を家の人から聞いて文にして来るように言われたらしい。

家で戦争体験の有る人はもういない。

父の戦争体験は聞いたことが無い。

ただ一度だけ従姉妹の父に話してたことを覚えている。

それは終戦後の満洲から日本に帰る話、それは壮絶九死に一生の話だった。

その話をしてたらカミさんが父の遺品の中から見つけたノート、満洲に渡って教員になるまでの話が克明に書かれてた。

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新聞で満蒙開拓の募集を見て幾日間考えて親兄弟にも相談せずに応募、茨城県の内原練習所に入所3ヶ月後、東満洲の寧安訓練所に入り猛特訓を受けたが風土病にかかり生死の境を彷徨う。何とか一年の訓練を終え翌春いよいよ永住の地と思った平陽に入植、この地は平坦で原生林が生い茂り豊かな川が流れ現地の住民も極めて温和で親切であったと書いている。

この自然に恵まれた理想の地こそ我が憧れの一生をかけ骨を埋める地と思ったらしい。現地の子らとも仲良く日本語を教えて歌を歌ったと。そこには植民地意識とか侵略等のお互いの意識は無く共に平和な村を構築しようとの一点で合意し協調してたと。

ところが父は体調は一向に回復せずに無為に過ごしてる時、隊長から呼ばれ今の体では開拓には向かない、開拓地教員養成所の受験をしないかと言われ。その時は夢破れ突き落とされた気がした。幾日間悩んでるとまた隊長に呼ばれ「教員の資格を取ったら再度この平陽の地に戻り子供たちの教育にあたってくれ」と言われ心が動いた。そして教員養成所の後新京(ハルビン)に在満師範学校が開設され入校。猛勉強したとある。

卒業後約束通り平陽の学校に行きたかったが、その時平陽には児童がいなく、辞令で七虎力(何処か分からない)在満国民学校に赴任。

ここの勤務は僅か一年余りだったが、父は生涯41年の教員生活で最も思い出深い一年で有ったと書いている。

一年後兵役につく時は総団員のぼりを上げて駅まで送ってくれた。

自分の知ってる父の教員生活は安泰そのものその安泰な公務員の暮らしに反感を持つことしかなかったが、今日これを読んで父に対する思いが変わった。

遅すぎるけど。

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朝の散歩

天気が良ければ山に行きたいが

朝から雨模様

傘をさして霧雨の中気多神社に向かう

近所の空き地にガマノホが

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ギボウシも咲いている

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この花は何んだろう

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これも分からない

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気多神社に参拝して裏山に回ると合歓の花が

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鉢伏山の鐘撞堂まで歩く

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曇り空だが市内がスッキリ見えた

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この紫陽花は綺麗

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今日の散歩ルート

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マイナポイントを登録

マイナンバーカードを普及させようとする国の企み

25%の還元をエサにマイナポイントを制度化

たまたまマイナンバーカードを取得したばかりだったのでその企みに乗ってみようと

スマホで手続きを開始した

手順を見るのにPCを開いてそれを見ながら

簡単にいくかと思ったのに色々手こずる

まずマイナンバーカードの取り込みが出来ない

何故と思って色々やってみる、スマホをカードにピタリと近づけると瞬間取り込みに成功した

それで上手くいくかと思ったら、今度はキャッシュレス決済の登録が良く分からない。

仕方なくpay payのアプリを開くとマイナポイントが有った。それで登録するとpay payでしか使えなく、しかも変更が出来ない

まあいいやと手続きしたら簡単に出来た。

しかし普及させたいのにどうしてこんなに面倒な事になってるのだろう。

梅雨の晴れ間に

今日は雨が上がって気温も高くなさそう  

久しぶりに二上山まで

白い花が見えた、何とかショウマか

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動かないけど何かのサナギだろうか

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鉢伏山から市内を見下ろす

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鐘撞堂

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木の間からの市内

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何日ぶりかの二上山

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尾根道は涼しい

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誰もいない城山

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合歓の木の花

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陸上競技場のメタセコイア

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梅雨の時期の小矢部川は水量が多い

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今日の散歩道

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