随分少なくなった

今日webun(地元紙のネット版)を見たら。
自分の出身の成美小学校の記事が載ってた。
創校130週年の記念行事が行われたそうだ。
130年はそんなに気にはならなかったが
440名の在校生が祝ったという在校生の人数に驚いた。
記憶は正確でないがかつてのベビーブーム(死語になりつつあるが)世代最後の年代1949年(昭和24年)生まれの自分らの同学年は一学年だけでその数字を上回っていたと思う。
中学に入った時はまさに1947年〜49年までのベビーブームの子らで学校を占めてた。
多分自分らの学年が11クラスで650名だったと思うが上の学年はもっと人数が多く一個上の学年は3年の時16クラスだった。
その卒業記念誌に3年16組は今後二度と無いでしょうと書いてあったのが印象に残ってる。
自分らの卒業の時のクラスは14だったから一個上は750名以上いただろう。
1年の時の運動会の写真を見るとグランドいっぱい3学年だけで2000人以上の生徒が居たと思われる。
教室の数が足りなくて理科室や音楽室などの特別教室が全て無くなってた。
その世代が今現役を去りつつ有るこの後日本はどうなるのかと改めて思った。

話は違うがそれにしても成美小学校の校歌は良かった。
「かたかごの双葉緑に花咲けば
匂う紫ああ学ぶ喜びに身も新しく
二上山白雪溶けて小矢部川さざ波清し
道広く町も豊かに睦み合う人に栄えあれ
いざ共に健やかに世に尽くすべし成美の名を桜にかざし掲げたる旗風高し
高岡の歴史の中に我ら有り成美小学校」
西條八十作詞
この詩は今思い出しても背筋が伸びる。