血天井について

先日京都に行った際見た源光庵の血塗りの天井。
見たときは伏見城が落城した際に300名以上の人が自刃、その時の血の跡とそこまでの知識しかなかったが、帰って内容を調べて見た。

慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの直前、徳川家康会津上杉景勝討伐に向かうため、留守居として鳥居元忠(1539〜1600)以下1800名に伏見城を守らせていた。すると家康が京を離れた隙を狙っていた石田三成の軍勢9万が伏見城を攻撃!鳥居元忠とその部下は三成軍を少しでも長く京に留まらせ、会津まで援軍に行かせないようにと奮戦したが8月1日遂に力尽き、落城の際に鳥居元忠ら380名以上が自刃(元忠は討ち死にとの説も有)。鳥居元忠達の遺骸は関ヶ原の戦いが終わるまで約2ヶ月もの間、伏見城に放置され、その血痕や顔や鎧のあとが縁側の板に染み付き、いくら拭いても洗っても落ちなくなった。そこで、縁側からその板を外し、供養のため寺に移した。その際に床を、足で踏む床板にしては供養にならないからと、天井にして手厚く供養しているものがいわゆる「血天井」として京都各地に今も残っているのである


これを読むと、関ヶ原の戦いの終わるまで2ヶ月も遺体が放置されてたとは壮絶
関ヶ原の戦いの徳川軍、弔い合戦の思い相当強かっただろう。