沢木耕太郎の深夜特急を読み始めた
その1を読み終わって感じたこと
- 作者: 沢木耕太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1994/03/30
- メディア: 文庫
- 購入: 13人 クリック: 199回
- この商品を含むブログ (310件) を見る
歳を取ってから若いころに外国に行ってれば良かったなとよく思うようになった。
この本を読んで一層その思いが強くなった。
どうせ授業にもそんなに出ない学生生活なら
同じように海外でいい加減な生活をしてればよかったと
言葉の心配をしてたが考えてみればあの頃は相当数の英単語を覚えてたはず
会話はしたことがなかったが英文ならほとんど辞書無しで読めた。
そんなことを思えば海外に行ってもなんとかなったのではと思う。
いまさら思ってもしかたがないことだけど、
何気なくこの本の香港の生活を読んでて、何の知識もなく突然行ってもそれなりに生活できるんだなと思った。
そしてマカオのカジノの話になると俄然面白くなった。
普通貧乏旅行をしてる人間はカジノに行こうなどとは思わないだろう。
この作者はギャンブル経験もそんなんにないのに、ひょっとした拍子でカジノに入るそしてギャンブルの面白さに入るのは分かるが、最後はそのカジノのインチキのやり方にまで気がつく。
これは学生時代に麻雀にはまってた自分から見ると凄いことだ。
自分も一度だけ外国のカジノに行ったことがある。その時はブラックジャックやルーレットをやったが、少し負けた、そしてすぐに止めた。
その理由はこれは仕組まれてるとしか思えなかったから、途中まで勝ったり負けたりしながらブラックジャックをやってたら突然中東っぽい若者が入ってきた。しかも最後の席につくこれは嫌な気がしたが断れなかった。
ブラックジャックは親と子の闘い、そして騙し合いを交える。最後に札を引くか引かないかで勝負が変わる、多分あの若者はどうもデイラー(親)と合図(麻雀で言う通し)をやってると思えた。騙し合いの一番大事な場所に仲間が入る、それじゃ勝てるはずがないとすぐに止めた。ギャンブルは勝とうが負けようが止めるタイミング(決断)が難しい。
作者はギャンブルに向いてないと行ってるがこの話を読んで逆に素質が有るように思えた。
カジノ以外に作者は地図も持たないで知らない国に降り歩きまわって自分の居場所を見つける。
そんなようなことがと思うが自分も一度だけパリに行ったことが有る、僅か5日間の観光旅行でスケジュールの決まった旅行だったが一日だけ開いた日があった。その日は勝手にあちこち歩き回ったがその一日が一番楽しかった。フランス語(大学の第二外国語はフランス語だったが)なんか出来ないが身振り手振りに英語の単語を交えて店に入ったり食事もできた。買い物をして地下鉄に乗るのは危険だから乗るなと教えられたが思い切って乗ってみたら思いもよらぬ経験が出来たことも。
終いにはオペラハウスから歩いてセーヌ川を中心にルーブル、オルセー、シャンゼリゼ、凱旋門までの道が頭に入ってしまった。20年位前の話だが多分今行っても歩けると思う。
考えてみると外国じゃないが初めて一人で東京に行ったのは17歳の時、あの時も電車に乗らず全く知らない東京中をただただ歩いてたのを思い出した。
そんなことを思えば自分の生まれ育ったところ以外はたとえ国内であろうと外国と同じ、何の知識もなく歩きまわることは楽しい。