高校三年の時体育館で何処かの高校と試合をやってるのを見た。
その中にひときわ目立つ選手がいる、ポイントガードの選手
相手のガードを外し次々とアシストやポイントを決めていく。
聞くとまだ一年生の選手。
凄いなと思ったがその時はそれだけだった。
大学に入って高岡市の寮で一緒になった。
一度見ただけであの時の選手だと分かった。
彼らが三年の時我が高校で出たことの無いインターハイにまで出場し、かなりいいところまで行ったらしい。
2年間寮にいて同時に退寮。東上線の一つ駅先のアパートに入った。大学も同じだったが学部は違うので会うのは大学近くの雀荘。
ここに同じ高校の卒業生が集まり東京のど真ん中なのに富山弁が平気で交わされていた。
集まってくる仲間は10人くらいいたが、何とこれまでに4人も亡くなっている。
彼がとうとう5人目になってしまった。
麻雀は寮にいた頃から一緒にやってたが雀荘以外でもアルバイトを一緒にやったり、アパートが近いので一緒に飲んだり。東京時代はかなり深い付き合いだった。
自分が卒業して富山に帰る時は妹の引っ越しを手伝ってもらったのが最後だった。
その後社会に出てからは何年も会う事も無かったが
彼が会社を早期退職して富山に戻って来た時は何度か飲む機会も有った。
ただここ数年は会う事が無かった。
昔の東京時代の仲間が集まる時も欠席するようになってた。
それが突然の訃報。
高岡での付き合いは少なかったが東京では歳下ながら随分世話になった。
昔の仲間が次々と亡くなる、寂しい限りだが忘れる事は無い
かつての交友に感謝してありがとうと言いたい。