旧満洲の平陽と七虎力

昨日父のことを調べて分からないことが気になり

今日昔のアルバムを調べ直した。

最初に平陽に行った訓練所の写真らしいものを見つけた

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この写真はその時の物かは分からない真ん中に座ってるのが父

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そして教員として最初に赴任した七虎力国民学校その七虎力が何処か分からなかったが地図を見つける

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その時の父の記録

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その写真も有った左端が父

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父は昨日も書いたがここで一年赴任しただけで昭和18年に入隊。

入隊後から終戦までの事は何も分からない。

しかしこの七虎力の終戦時の悲劇はネットに出てる。

終戦と同時にソ連軍の侵攻、地図を見ればすぐ北が国境

400名以上の自決者が出、逃げのびた人達の言語を絶する苦難が語られている。

父はここでの一年の生活は41年間の教員生活の中で一番記憶に残ると書いている。終戦の時は軍隊でここにはいなかったと思う。この時の教え子や知人達が終戦時どうなったかと思うと複雑な気になる。

開拓の様子の写真を見つけた

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父は同時のことを何も語らなかったが

7ページに渡りノートに書いていたのだ。