島尾の地蔵尊

先日芭蕉の句碑めぐりの途中
案内してもらったN島さんが島尾海岸を通る時に教えて下った地蔵尊を昨日見てきた。
今まで何度も通り、何か有るのは気づいてたがこんなに悲しい話が有ったのかと初めて知った。

はっきり読めない字でしたが、ネットで調べると総務省の記事に書いて有りました。


 「昭和二十年夜半、東南の夜空は夕焼けの様に真赤でした。
私達の上空ではサーチライトの光芒に小さい機影を見せて、B29
の編隊が何度も富山市の方に向つて行きました。
 富山市の大半が焼き払らわれ、二二七五人の無辜の市民が無残に
焼き殺された富山空襲の遠い夜景でありました。
 それから数日、劫火に追はれ川に逃がれて甲斐なく溺死した人々
でありましょう、この海岸に点ゝ外字と漂流死体が打上げられました。
生まれたばかりの嬰児をしっかり胸に抱いた若い母、十二、三才の
姉と六、七才の弟と手を縛り合せた寝まき姿のいたいけな骸に涙しな
がら村の古老達が近くの松の根方に懇ろに葬むりました。
 それから毎年八月一日、この不幸な無縁仏に野花を供えて供養を
いたしておりますが、国泰寺管長稲葉心田老師の御激励と地元有志
の協力を得まして、本年三十年忌に当り地蔵尊像を建立いたしまし
た次第であります。
 御芳志賜りました多数の皆様のお心を念じまして、永く供養いた
したいと思います。」


地蔵尊に向かい合掌をしてきました。

それにしても何の罪もない一般市民をアメリカという国は富山だけではなく何故こんなにも殺したのでしょうか?

富山大空襲(とやまだいくうしゅう)は、1945年(昭和20年)8月1日から8月2日にかけてアメリカ軍が富山県富山市に対して行った空襲。当時の市街地の99.5%を焼失し、広島、長崎への原子爆弾投下を除く地方都市への空襲としては最も被害が大きかった。