ネットの「青空文庫」で作者名を閲覧していると
加藤文太郎の名を見つけた。
そして本の題名が「単独行」
これは昔読んだ新田次郎の「孤高の人」の元になったものだ。
その本人の書いたものなので真実の話が分かると思って期待を持って読んだ。
小説家でもない人の山の紀行文なのでなかなか読みづらかったが次第に引きこまれていった。
「孤高の人」を読んで自分なりの加藤文太郎のイメージを作り上げてたがこれを読んで少しイメージが変わった。
強い信念と人並み外れた鍛錬による強力な体力を持っての単独行と思ってたがそうでもないようだ。
冬季の富士登山のところではこんなことを書いている。
「だいたい僕は岩登りも、スキーも下手なのでパーティの一員としては喜ばれず、やむなく一人で山へ行くのであって、別にむずかしいイデオロギーに立脚した単独登攀を好んでいるわけではない。」
当時ガイドの居ない単独行を避難されたことに対しても書いている
「闘志を強くするためか、あるいは逃避のための山行なら案内がいろうはずがない。そのうえ案内人もろとも遭難する場合を考えると、気の弱い僕にはとてもやとう気がしないんだ。」
一番知りたかったのは、昭和5年1月途中まで同行した6名が雪崩により剱沢の小屋で遭難死した事件のこと
新田次郎の小説は随分読んだが事実を曲げて(誇張して)書いているのが多いためこの事件の真相はどうだったのかと気になったが、「孤高の人」に書かれている事とほぼ同じだったのに少し驚いた。
しかし「孤高の人」で取り上げた他の山行の内容はやはり事実とだいぶ違うようである。
それと加藤文太郎が雪山にスキーを使ってたのは意外でこれを読んで初めって知った。
「孤高の人」にもスキーの事が書いてあったのかもしれないが、読んだのが随分前なのでその記憶が無い。
乗鞍岳の頂上から四ッ岳方面を見てその内ここをブンブン飛ばすスキーの時代がやってくるだろうと予言してるのが印象的だった。