喜久井町生活3

予備校に出席もせず東京にいる同級生を尋ね回るばかりの毎日が続く。

去年毎日一緒に遊んでて一緒に受験した友達が彼だけ受かって明治大学に行ってた。試験後一緒に答え合わせした時は自分の方が結果良かったはずなのに何故か彼だけが合格。

明治の一年二年は京王線明大前の校舎。わざわざ会いに出かけた。

校庭に入ると丁度授業が終わって生徒が出てくる。

まさかと思ったがその中に彼が、彼もこっちを見つけて飛んでくる。

早速彼のアパートと自分のアパートを知らせ合う。

彼のアパートは千歳烏山。今はすっかり変わって賑やかな街になってるが当時は駅から少し離れただけで畑や田んぼばかり。その畑の中の道を20分くらい歩いた農家に有るのがアパートだった。その後二年くらいは何度か遊びに行ったがそれっきり、その後30年以上は全く消息も知らなかった。30年以上経ったある日実家に葉書が届いた。何と信じられない事に今は自衛隊にいると。

お互い学生の頃はどちらかと言えば反体制の意識だったので自衛隊とは驚いた。

丁度正月でお互い高岡に帰省してた時だったので早速酒を酌み交わして互いの近況とか家族の事など話し合った。

彼と最初に酒を飲んだのは千歳烏山の駅の近くの小料理屋さんだった。飲み屋に入るのも慣れてない頃どきどきしながら店に入ると和服で若い綺麗な女将が迎えてくれた。

あの時出て来たマグロの刺身と海苔で巻いたイカの刺身が忘れられない。

もちろん女将も。

その彼は退職後富山市の危機管理室長になって帰って来た。その頃はよく一緒に飲んだりゴルフをやったりしてたがここ5年ほどまた会ってないけどどうしてるのかな。

喜久井町生活その2

その1で物語としたが物語じゃないのでタイトルを変えた。

人生初の自分のアパート

高校時代に一度だけ知人のアパートを借りて1週間の東京生活をしたことが有るが、今度は自分の部屋。

案内してくれた従姉妹が帰った後すぐに近所の散策。

まずは食堂と風呂屋探し。

近くの食堂はすぐ向かいに蕎麦屋、そして大衆食堂と中華屋。どの店も美味しかった。

風呂屋は歩いて10分以内になんと三軒も。

初日はワクワクして中々寝れなかった。

翌日から予備校通いが始まるはずだったが初日教室を覗くと何か子供っぽい学生ばかりで生意気な自分はもう行く気が無くなってしまった。

予備校は早稲田大学のすぐ近く早稲田には高校の同級生が何人もいた。誰かに会わないかと校内を歩いていると何かの集まりが、見ると革マルの集会、何気なく壇上を見ると何と高校の同級生がアジ演説をやってる。

演説を終えた彼に声をかけるとびっくりした顔で飛んできた。どうしたのかと聞くので訳を話すとアパートが近くなら教えてくれと言うので連れて帰ったが、その後何度もやって来る事になる。

革マルの仲間を連れて来る事も、布団が十分ないので3人で分けるがその頃は学生運動の真っ盛りの時、すぐ前の京大闘争の時なんかコンクリートの上に新聞紙を引いて寝た。それに比べれば天国だなんて言ってた。

高校時代から仲の良かった同級生も校内散歩で再開した後は皆んなアパートに授業の後とかにやって来る。

掃除もしないで万年床で寝てると、勝手に入って来て叩き起こし掃除までやっていく奴もいた。

喜久井町生活はそんな感じで始まった。

喜久井町物語その1

東京に行って初めての一人暮らしを始めた町、新宿区喜久井町

地下鉄東西線早稲田駅から夏目坂(当時そんな名前が有ったかどうか知らない)を登ると途中で右手に早稲田大学の文学部校舎が有る坂を登り詰めた所が喜久井町

初めてここに来たのはどこから乗ったのかは覚えてないが東京生まれの従妹に連れられて都電13番線の牛込柳町で電車を降りた。降りようとしたら車掌に切符を見せろと言われたその時従妹が先に二人分渡しただろうと怒ったのを今も覚えている。

柳町から坂を上り反対側地下鉄の早稲田駅まで行く。そこが父の遠縁の家なんと夏目漱石の生誕の家と標石が有った。その家もアパートをやってたが生憎空き部屋が無いので近くに知り合いのアパートが有るからと紹介されたのが喜久井町のアパート。そこまで勉強に必要だろうと机をもらって担いで歩いて行った。大家さんはお店をやってた食料品や生活用品など何でも売ってる店。向かいの部屋にやはり大学浪人の学生がいると言われた。山口県岩国出身の同い年の学生一年間一緒にいて色々有った。彼も翌年立教大学に受かって喜んでた。しかしそれっきり今まで一度も会って無い。
たった一年間しかいなかったアパートだが色んな事が有った。

その話はまたにするが、30年以上経った時、東京に出張した際暇ができたので懐かしくて寄ってみた。自分が住んでた時もボロアパートだったが何とまだ残ってた。しかし店は無く大家さん一家はどうされたたのかは分からなかった。最後にアパートを出る時大家さんは車を出してくれて次の住処の小金井の学生寮まで荷物を運んでくれた。東京でも色んな人に世話になったがどこにも何の恩返しもしてない。
たった一年間の喜久井町だったが人生の中でこの一年間が忘れられない。

 

岩瀬馬場家と入善フラワーロード

朝までは今日は自転車で出かけるつもりだったが

なまくら者はだんだん嫌になってドライブに変更

前から気になってた岩瀬のかつての北前船の廻船問屋馬場家をまず

f:id:yamanouta:20210416144020j:plain

f:id:yamanouta:20210416144044j:plain

f:id:yamanouta:20210416144108j:plain

f:id:yamanouta:20210416144126j:plain

f:id:yamanouta:20210416144147j:plain

その後入善まで行きチユーリツプを見に

f:id:yamanouta:20210416144249j:plain

f:id:yamanouta:20210416144310j:plain

ついでにすぐ横の富山県で一番低い場所に有る園家山の一等三角点を見てきた。

f:id:yamanouta:20210416144422j:plain

塔倉山

明日からしばらく天気が悪い

出かけるなら今日しか無い

そう言ってもあまりキツイ山は嫌

そんな訳で塔倉山(730m)に

随分前に目桑コースを登っているが長倉コースは初めて先日城が平に行った帰り登山口への道を確認してある。登山口には未舗装の駐車場が有る

f:id:yamanouta:20210415160657j:plain

杉林を過ぎるとロープの張って有る急登りがずっと続く

f:id:yamanouta:20210415160854j:plain

標高600mまではロープの連続

f:id:yamanouta:20210415161221j:plain

大きな赤松が何本か並ぶところを過ぎると快適な尾根道イワウチワやタムシバが道の両側に

f:id:yamanouta:20210415161147j:plain

f:id:yamanouta:20210415161259j:plain

突然鍬崎山がどーんと現れる

f:id:yamanouta:20210415161402j:plain

山頂に向かう途中後ろから追いついて来た人が驚いたと言う。よくこのコースを歩くが人に会ったのは初めてだと

1時間15分で山頂着。(東峰

f:id:yamanouta:20210415161645j:plain

山頂からは大日岳や剱岳が鮮やか

f:id:yamanouta:20210415161732j:plain

f:id:yamanouta:20210415161754j:plain

山頂でしばらく追いついて来た人と話し、帰られたので

西峰に向かう、あまり眺望は良くないと聞いたがそれなりの眺望だった。

昼食は東峰に戻り誰もいない山頂でまったり。

ギフチョウが舞っていた。

f:id:yamanouta:20210415162657j:plain

下りは滑りそうな急坂をロープに繋がって降りた。

今日のルート

f:id:yamanouta:20210415132634j:plain f:id:yamanouta:20210415132556j:plain

映画「柘榴坂の仇討ち」

天気が良くないので今日はスティホーム

撮り溜めてあった浅田次郎原作の「柘榴坂の仇討ち」を観た。

気になるのは吉村昭の実話「最後の仇討ち」

同じ話なのかと思ったら桜田門外ノ変で始まる

こんな話では無かったはず

しかし最後は明治13年になる。

これは「最後の仇討ち」と同じ年。

気になるので調べてみたらやはり同じ実話を題材に創った浅田次郎のフィクション。

映画は中井貴一が主人公

前に観た同じく浅田次郎原作の「壬生義士伝」でも中井貴一だったのでキャスティングにはちょっと不満が有った。

しかし阿部寛の演技は素晴らしかった。

壬生義士伝」の映画は原作を読んだ自分の感覚とはかなり違ってたのでがっかりだったが

これは原作を読んでないので面白く観れた。

松山マスターズ勝った!

二三日前から松山がグリーンジャケット着せてもらう姿が目に浮かんでいたが

予感が当たった。

朝4時前に目が覚めたがトップで最終日をプレイするのを見るのは疲れるので

5時半まで我慢した。

一時は5打リードでもう確実と思ったが

オーガスタは甘くなかった。

最後で池に落ちるドラマが二つ有ったがボギーで抜けた松山がやはり冷静だった。

二打リードで迎えた最終18番ティショットがフェアウエイ真ん中

これで勝ったと思った

しかし二打目はグリーン横のバンカー

それでも二打リードが効いた

得意のバンカーショットを2メートルくらいに寄せこれを入れたら優勝。

しかし僅かに外れ残り30㎝くらいのパットを入れてギリギリの一打差で優勝。

最後の優勝パットを入れた後の姿

今までマスターズの優勝パットを何度も見たがほとんどが爆発するようなガッツポーズだった。

最初の2mを入れてれば松山も派手ではないがガッツポーズを取ったと思うが何のポーズも見せず帽子を取って一礼。

こんな質素なマスターズの優勝シーンを見たのは初めてだ。

東京の放送局のアナウンサーの声が涙ぐんでるように聞こえたがその後の中島は本当に嗚咽をこらえきれず泣き声だった。宮里もほぼ泣いてたのが印象的だった。