三陸海岸大津波

先日の東京出張の時読もうと思って持って行った。
電車に乗ってすぐに読み始めたが、直江津を過ぎたあたりで読み終わってしまった。
今回の東日本大震災の事が有るので、何か共通点があるのか何か教訓になったことが有ったのかと思って読み始めたが、すぐに何か不思議な気がした。
この本の中で大きく取り上げられているのは今回と同じく三陸地方を襲った三陸沖を震源とする明治29年と昭和8年の地震による津波
その二つの津波の際同じようなことが津波の前に起こっていることが書かれている。
その地震の起こる前に海で異常な豊漁が続いたこと、井戸の水が枯れたり濁ったりしたこと
地震の後津波の来る前に潮が大きく引いたこと、沖で怪しい発光現象が見られたこと、大砲のような大きな音が沖で聞こえたこと。
今回はどうだったのだろうそんな話は全然聞いてないが・・なぜだろう?
震源地も同じく同じ場所に起こった津波なのに今回だけ違うのだろうか?
過去の二つの津波の模様を吉村昭は当時の経験者や資料を探しその惨状を詳しく書いている
読めば読むほど過去にこれ以外にも何度も悲惨な目に遭ってるこの地方の人々、何故もっと安全な場所に住まないのかと疑問が広がる。
ちなみに三陸方面での過去の津波での死者数
明治29年26,360名
昭和8年2,955名
昭和35年チリ地震津波105名
驚いたのは明治29年の死者数、今回の震災では現時点で死者13,357名、行方不明者15,148名合計28,505名(不明者の数はまだはっきりしないが)ほぼ同数。
そして明治29年以降はは確実に数が減っている。
過去の被害に対して強固な防波堤等色々な対策を取った結果と思うが
しかし今回の被害はその対策をあざ笑うかのような惨状
この本が書かれた時はこの地方また津波に襲われるのは必至と著者は書いているが・・
著者が取材した時の土地の古老の話がむなしい
津波は、時世が変ってもなくならない、今後も必ず襲ってくる。しかし、今の人達は色々な方法で十分警戒してるから、死ぬ人はめったにないと思う」
その結果がこれと言うのは悲しすぎる。
なぜそれほどまでして離れられないのだろう、生まれた土地で海の資源が豊富で景勝地であることは解るが、自然と戦って勝てる訳もないし、他に何か理由が有るのだろうか?