「方丈記私記」再読

先日から読んでた「方丈記私記」読了

堀田善衛のこの本は2年前に一度読んでいるがその時は半分くらいしか理解出来なかった。

それでも何か気になっていたので再読した。

堀田善衛は最初にこの本は「方丈記」の解説では無く自分自身の事と書いている。

平安時代後期から鎌倉時代前半に起こった事を鴨長明が日記的に書き綴った自伝。

その時代多くの災害が起こり、庶民がとてつもない生活を強いられる中、朝廷側の人間はそんな事は別世界と我が世を享楽してる。

第二次世界大戦に青春期を過ごした堀田善衛は戦争に苦しむ庶民と戦争を起こした張本人達との関係が同じく感じ鴨長明の内心を堀田善衛なりに探り出している。

日本人が持っ本家取りの精神はどうしようもなく歴史の中に続き日本は変わる事が無いだろうと自分も諦めを感じる。

鴨長明は何もかも捨て方丈にとどまったが同じ時代を生きた親鸞は罪を受けても信念を通して動いた。 その親鸞が生まれた土地と鴨長明が最後に方丈を構えた土地が同じ場所という不思議も有る。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。