高校に入って古文の授業が有った
今思うと生意気な学生だった自分はこんなもの何の役に立つのだと全く無視して、古文の授業を放棄してた。
そんなわけで今も古文を読むのが苦手。
それなのに堀田善衛の「方丈記私記」を読もうと思ったのは、本を開いて最初の二行
「私が以下に語ろうとしてることは、実を言えば、われわれの古典の一つで有る鴨長明方丈記の鑑賞でも、また解釈でもない。それは、私の、経験なのだ」
これを見て読もうと思ったのだ。

読んでいてこの鴨長明と言う人間と先に読んだ画家ゴヤとがある一面似てるなと思い出した。
堀田が「方丈記」を気に入ったのもそこらに有るのではと思う。
堀田はこの時代と現代を重ね合わせて日本人の意識が変っていないことを何度も書いている
そして最後に
この最後の行
そうしてかかる「閑居の気味」は、中世芸術家たちの憧憬の対象となり、またまた、今度は鴨長明自体が本歌取りの対象にされてしまう。
堀田はこのように日本の永遠に続くどうにもならない国民意識を皮肉っている。