先日電車の中で読み残した本を今日読了した。
山本周五郎の「小説日本婦道記」
周五郎を読むならこれからと教わった作品
しかし手元になかったので3作目になった。
しかも周五郎の絶筆になった「おごそかな渇き」を先に読んでしまっている。
絶筆と知らないで読んだのでしょうがないが
何か先に読んで周五郎の人間が少し分かったような気がして悪くなかったと思っている。
この作品泣けますと聞いたので最近涙もろい自分は気が引き締まった。
そして読んだら早速涙が・・
最初の「松の花」と言う話。
武家の主人の奥さんが亡くなって主人は武家の習わしに沿って粛々と葬儀を執り行うが
お通夜の夜その部屋から聞こえる物音に驚き
わけを聞くとその家の下男下女が経を上げていると
武家のしきたりで下男下女がそのような場所に入ることさえ許されない時代
主人は怒り、息子に訳を聞くと
初めて妻がいかに質素な生活をし下男下女に対しては優しく対してたかを知る。
話は主人がそれまでどれだけ妻が知らない場所で苦労してたかを思い知らされると言う話。
この話で泣けたのは主人の思いでは無く、下男下女が亡き人に捧げる思いに泣けた。
これはと思って次々と読み進むがどれも素晴らしき武家の妻の話。
あまりに立派過ぎて自分とはかけ離れた世界、涙も出なくなってしまった。
しかしこの小説、題名からみると日本人女性の素晴らしさを称える小説のように見えるが作者は登場人物の男たちもいさぎよく描いている。
巻末の解説を読んでて久しぶりに大衆文学、純文学と言う文字を見たが、そう言えばこんなに大衆と言うものを馬鹿にした言葉が今も生きているのが不思議に思えた。
芥川賞と直木賞、何を区別して差別をしているのかといつも思っている。
直木賞を始め殆どの文学賞を辞退したと言う周五郎の考えは自分とは違うかもしれないが喝采を贈りたい気分。