今日今年の1月に亡くなった友人の法事に行ってきた。
彼の生家は射水市の天理教の教会
亡くなった時に初めて天理教の葬式を経験した。
全く仏教の葬儀とは違ったもので驚いた。
今日の法事
仏教では四十九日に法要を行うが
天理教ではそれを50日目、50日祭として執り行われる。
教会に入ったのも初めて、何もかにもが初めての経験だった。
雅楽の鳴り響く中、荘厳に式は執り行われ無事終了して会食に
本人の兄上お二人が場を和やかなものにしようと、歩き周り参加者と本人を偲び歓談されるのが印象的だった。
我々は彼との付き合いのほとんどは大学時代、またもや昔の彼の行状の暴露話で盛り上がった。
途中からは地元の同級生の方々と混ざって歓談にふけった。
それにしても結婚後横浜から地元に戻り、天理教の関係する老人施設を運営し老人介護のことで全国を飛び回ってたのに突然の死。
聞いた時は本当に耳を疑った。
本当に人を疑うことを知らず真面目で一途な性格だった。
若いころも人に愛される人間だったが、
今の世の中にはとても必要な人間だったのに、その早すぎる死、
誰もが惜しんだ。