先日テレビで「点の記」の映画をやってたが
(これは原作も読んでるし、映画も見てる)
たまたま「青空文庫」の作者名一覧を見てたら
柴崎芳太郎の「越中劍岳先登記」を見つけたので読んでみた。
「点の記」の主人公本人の書いたものなので、小説や映画と違う何か真実が分かるかと思ったのだが・・
新田次郎の原作に関しては色々事実と違うとの指摘が有るのは知ってた。
特に気になってたのは宇治長次郎のこと
ところがこの手記には長次郎の名前が出てこない???
記録されているのは下記の5名、一人は氏名不詳となっている。
測夫 静岡県榛原(はいばら)郡上川根村 生田信(二二)
人夫 上新川郡大山村 山口久右衛門(三四)
人夫 同郡同村 宮本金作(三五)
人夫 同郡福沢村 南川吉次郎(二四)
人夫 氏名不詳 途中落伍(この氏名不詳が宇治長次郎らしい)
これは一体どういうことだろうと調べてみたらここ↓に詳しく書いてあった。
柴崎芳太郎が長次郎のことを快く思っていなかったというのは驚きだった。
その理由は推測としてここに書いてあるが・・
それとは違うが私の勝手な推測だけど、どうしても点の記として公式記録の残る三等三角点を設置したかった柴崎とその資材を上げる困難さと危険を訴えた長次郎が対立したのだと思う。
結局長次郎が折れることなく記録の残らない四等三角点にしかならなかったのは余程悔しかったのだろう。
しかし氏名不詳、途中落伍などとあまりにも酷いことを書く柴崎にはちょっとがっかりした。
宇治長次郎などという人間は知らないとまで言い切っているらしい。
一人苦労して四等三角点の柱を上げたのは間違いなく長次郎なのに・・・
新田次郎の作品はやはり事実の登山史と認識してはいけないようだ。