涸沢2日目(かなり長いです)

酒をたっぷり飲んだせいか、かなり寒い夜だったらしいが
3時頃までは寒さを感じず寝れた。
それでもシュラフシュラフカバーそれにダウンまで着て寝たのは初めてだった。
家内は自分よりかなり低温対応のシュラフだが頭までかぶっても寒かったそうだ。
3時半頃トイレに行き空を見上げると満天の星だったが生憎眼鏡を忘れたので空中に灯りが散らばっているようにしか見えなかった。
少し明るくなってテントから出ると、山が明るくモルゲンロートが始まってた。
パンとコーヒーで朝食を済ませ、顔を洗って出発の準備をする。
家内にはアタックザックを渡し自分は家内のザックで7時過ぎに出発した。

荷物が軽く睡眠も十分、今日は快調に歩けるとこの時は思った。
ゆるい登りのパノラマラインを歩きザイテングラートを目指す、徐々にテン場が遠くなる。それにしても沢山のテントだ。
涸沢小屋からの道と合流すると一気に人が増える。
ザイテングラートは渋滞で待たされる時間が多くなった。

この状態では、ジャンダルムまで行けないのではとこの時は思った。
ところが、穂高山荘が近づいてきて何か体の調子がおかしい、深呼吸を何度もするがだんだん辛くなってくる。山荘まで後20分を過ぎたところで眩暈が始まった。
堪らず前に声をかけ待ってもらう、しかし吐き気までして辛くてどうにもならない。
簡単には治りそうにないので山荘で待ってもらうよう頼んで先に行ってもらった。
暫く休んで歩き出したが10mも歩くともうだめ、何度も止まり山荘目の前で家内が迎えに来た。ザックを持ってもらいやっとの状態で山荘にたどり着き壁に寄りかかって座ってしまった。
山荘の前は登山者でごった返し、奥穂に登る入り口も大渋滞。

ここでこの先は断念して休むことにした。
家内とシュンちゃんはジャンを目指して渋滞の列に付いた。
壁に背を持たれかけてその列を見てた、30分経っても一向に進まない。梯子にまでも届かない、そのとき「ラクッ!ラクッ!ラクッ!」と声がかかる、梯子のてっぺん辺りからばらばらと落ちてきた、最後に枕くらいの大きさのが飛ぶように落ちて来る5〜6人くらいの人をかすめ一番下の人が避けたと思った瞬間バランスを崩し滑落、3回転位して落ちてくる、周りに悲鳴が起こった。奇跡的に途中で止まったが10m以上落ちている
これは駄目かと思ったが本人が「大丈夫」と起き上がった。一斉に安堵の空気が漂った中、また「ラクッ!ラクッ!ラクッ!」これは途中にいた人が手で止めた。そしたらまた「ラクッ!ラクッ!ラクッ!」この間誰も動いていない、石が落ちた場所は同じところから、同じ人間かどうか分からないが「何で?」と腹が立ってきた。
こんなことでドキッとした為か、体の調子が少し目覚めた。
小屋の中に入り何か食べようかと思ったけど、やはり食欲が無く外に出る。
家内たちはようやく見えなくなった。
ふと後を見ると涸沢岳が見える、さっきまではこのまま降りるつもりだったが、ここまで来て1つもピークを踏まず帰るのはあまりにも残念なので登って見ようと思った。
登りはじめた瞬間ジャンが目に飛び込んでくる。そうだ頂上に行けば槍も見える、元気が出てきた。頂上は遠くに富士山から後は白山、立山連峰、目の前には槍、穂高の山360度の絶景だった。登ってよかったと心から思った。


山荘に戻り蕎麦を注文したがまだ本調子では無く少し残してしまった。
その後、外でひょっとして戻ってくるかと家内たちを待ったが、やはりジャンに向かったようなので12時45分下山を開始した。ゆっくり下りるつもりだったがいきなり道を譲られる。ちょっと困ったが先に出ると以外に早く歩ける、人をどんどん追い越し1時間ちょっとで涸沢小屋に到着、どうしようかと迷ったが生を注文、飲んでみると美味しかった。体調は戻ったようだ。

テントに戻り荷物を置いて涸沢の池を目指す。
踏み跡を辿って行くと簡単に池にたどり着けた。
池には見事に北穂高岳が逆さに写ってた。

涸沢にはあんなに沢山の人がいるのに、誰もいない静かな場所だった。
テントに戻り晩飯の準備をしたがまだ3時、皆が戻ってくるには早すぎる。4時少し前に寝ようかとシュラフにもぐりこんだところに帰って来た。
やはり時間が足りなく馬の背を過ぎた先、ジャンの手前で戻ったそうだ。
この後は、ヒュッテに移動し昨夜に比べささやかな宴会をし8時頃寝た。