俵星玄蕃

昨夜島津亜矢さんが歌う「俵星玄蕃」を聞いた。
そう言えば、赤穂浪士討ち入りの日だとふと思った。
玄蕃が吉良邸に駆けつけ杉野十平次との再会、加勢を願い出るも大石内蔵助に感謝はされるが断られるくだりは忠臣蔵の脚色だと分かっていても何度聞いても目頭が熱くなる。

俵星玄蕃は架空の人だが、調べてみると実際にモデルがいたらしい。

俵星玄蕃のモデルとして考えられる人物として、大石無人(1627-1712)がいる。大石内蔵助の遠縁にあたり、赤穂浅野采女正長重に仕えたが浪人し、寛文6年(1666年)から江戸に住んだ。堀部弥兵衛と親しく、義挙参加を申し出たが、主家を退去したのは昔のこと、今は子にかかっている身分、と忠告されて思いとどまっている。長男郷右衛門良麿、次男三平と共に義を好み、討入りの時は三平と吉良邸の外で警戒にあたった。この故事から、明治期の講釈師が俵星玄蕃を創作したと考えられる。
(あるところから無断で抜粋です)m(-_-)m

武器の援助をした「天野屋利兵衛は男でござる」で有名な天野屋利兵衛は実在の人らしいが援助をした人物は別人のようだ。

主君の遺恨をはらそうという美談、忠臣として讃えられるが
個人的には藩、城をなくし生き抜く術をなくした人たちが死に場所を求めて起こした行動と思う。新撰組土方歳三に繋がるところが有るような気がする。
行動の是非は分からないがその強い意志には共感を覚える。
援助した人たちも同じ気持ちなんだろうと思う。